されたことから、電力不足(アンペア)と狭さが問題になって来たのは言うまでも
ありませんでした。
これらの問題を抱えながら毎日の仕事は淡々と進んでいましたが、ここで大きな
動きがありました。
それはと言いますと、社長のSAさんの自宅が道路の区画整理事業の区域に
引っかかったことから住宅公団(現在のUR)から補償金が転がり込んでくる事に
なったのです。
時代も平成元年であり、当時はバブルの真っ盛りという事も手伝ってか、
社長は大きな賭けに出たのであります。
それはと言いますと、「事務所の移転」と「規模の拡大」なのであります。
社長はこれらの材料を元に筆者の父と移転についての相談を始め出し、
格安で面積の大きな物件探しを始めました。
それと平行して社長はいかに公団からの補償金を吊り上げるか模索をして
していたのは事実であり、このことが後に功を奏する事になったのです。
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2012/04/29(日) | 仕事/公務編 | トラックバック(0) | コメント(0)