業界スコープ

最後の冬期帰省(昭和62年)

今年も誠明の業界では恒例の冬期帰省の日となりますが、もう家で
ゆっくりされている方もいるかと思いますが、中には誠明に残留
されている方もいるかと思います。
昭和62年12月28日は筆者にとっては最後の帰省となりますが、
びっくりする帰省でもありました。
いつものように小作から青梅線に乗り、昭島で突如乗り換えたので
行くところが違うのでどこに行くのか父に聞いたところ、引っ越した
ことを言われたのでした。
どうして引っ越したのかを聞いたところ、来年3月に筆者が卒業することと、
かつてつぶした写植屋の借金の問題からだと父は言ったのであります。
この言葉に筆者はびっくりさせられたのは事実でありますが、
「引っ越した事は内緒(誠明)にしておくように」と口止めまでついた
ことに驚きを隠せなかったのは事実でありますが、よく考えてみますと
誠明のいい加減な進路指導に対する報復作戦であったのは事実であります。
この言葉を聞いた筆者は一瞬にして報復作戦を実行したことを悟ったのは
言うまでもありません。
拝島で西武新宿線に乗り換え、たどり着いた所は「田無」だったのです。
田無駅で電車を降り、南口の出口を見渡すと細い路地になっており、
交差点を右に曲がりますと、すぐ左側に田無市役所(現・西東京市田無庁舎)が
あり、まっすぐ行きますと所々に商店が立ち並び、酒屋と刃物工場の橋を
超えてすぐに交差点を左に曲がり、複雑な十字交差点の手前が新居となりました。
アパート名は蕪山荘と言い、101号室が筆者一家の新居となりました。

田無の自宅
新居の蕪山荘101号室前。
写真をクリックすると、大きな画像でご覧頂けます。



より大きな地図で 田無の自宅周辺 を表示

住所は東京都田無市(現・西東京市)向台町4-1-11(現・4-1-10)であります。
古いアパートはありますが、2DKの4戸建てで玄関は狭いのですが、室内は
広かったことを覚えております。
ここで筆者は誠明を出た後は親子水入らずの生活ができるかと思っていたのは
事実ではあります。


しかし、後にこのアパートが地上げ屋職員YAの地上げ騒動の舞台になったり、
スーパー問題職員YAの暴力事件の現場になったり、東京都教育庁(現・教育委員会)に
よる嫌がらせとも言うべき田無養護学校(現・田無特別支援学校)建設によって
筆者の平穏な生活が東京都の組織ぐるみの陰謀というべき暴挙によって脅かされる
ことになるとは当時は思ってもいなかったのは事実であります。
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2010/12/28(火) | 誠明学園 | トラックバック(0) | コメント(0)

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