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卒業式(昭和61年度)

今日は卒業式のことを書きたいかと思います。
昭和62年3月23日卒業式がありました。この日B1では朝から皆
慌ただしく動いておりました。
そして中3は一人づつ公務室に呼ばれて退園することが職員から
言い渡されるのです。
出発前に記念撮影をする寮も中にはありますが、時間に追われて
会場に滑り込むのです。
各寮から毎年ブルーファンヒーターが体育館の暖房のために満タンの
状態で拠出されるので、園内のリヤカーや一輪車はストーブ運びに大忙しに
なるのです。
会場に入りますと、来賓のための折り畳みイスの運び込みが全校生徒の
手で行われ、時は開始の時刻を待つことになります。
そして卒業式が開始されます。
練習の通りに淡々と進み、時間はお昼を過ぎた頃に終了します。
卒業式本番では思いがけないハプニングも起こるのです。
女子生徒に多いのですが、名前を呼ばれた瞬間に泣きだしてしまう生徒が
いるのも事実であります。
この昭和61年度の卒業式では1名いたことを覚えております。

式も終わり、卒業生は各教室に移動したスキに在校生は片づけに追われるのです。
そして、ここから新年度が始まります。
今までの当番に追加して週ごとに交代で「週番」という仕事が増えるのです。
週番とは点呼での連絡係から全員の衣類の洗濯や各号令を発する重要な役割を
するのです。
この日から筆者は一番古い(寮・界隈の長老クラス)ためにこの「週番」を引き継いだ
わけですが、とにかく大変だったのが「洗濯」だったのは事実であります。
4.5Kg洗濯機+3.0Kgの洗濯機2台を同時に回すわけではありますが、洗濯する量は
MAXで13人分ですから、どのように効率よく回すかのタイミングをつかむのに1週間
ぐらいかかった記憶があります。

この年度変わりはさらに少ない人数で回すわけですから、普段の2倍の工程が
かかりますが、助け合いながら人数が増えるまではみんなで我慢して進めた
記憶があります。
ところが、この昭和62年の年替わりはスーパー問題職員YAと地上げ屋職員YAの
進路指導のとぼけから在籍校の卒業アルバム問題から地上げ事件に至るまで
ありとあらゆる陰謀の始まりであったのはいうまでもなかったのは事実であり、
後に筆者は計り知れない損害を被ることになろうとは思ってもいなかった
ことを覚えております。
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2010/03/23(火) | 誠明学園 | トラックバック(0) | コメント(0)

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